メインとカウンター
世の中には、
メインの人とカウンタータイプの人がいます。
カウンタータイプの人っていうのは、いわゆる『持ってない人』。
メインの人(『持っている人』)を横目に見ながら、嫉妬したり、自分に落胆したり、こんな境遇で生活させられている世界に不満を持っていたり。
ただ、そんな理不尽な世界でも、どうにか生きていかなければならない。
だからカウンタータイプの人は、生きるための工夫をします。
メインの人がいない場所で生息しようとしたり、メインの人を貶めようと陰で動いたり、こんな理不尽な世界はクソだと自分に言い聞かせたり。
こういったところが、カウンタータイプと称される所以であると思うんですけど、カウンタータイプの人は、単独では成立し得ないと思うのです。
メインの人がいてこそ成立する。
(メインの人がいないと、世界を理不尽だと思うことはないので、最初の成り立ちからそうだと言えばそうなのかもしれないですけど)
メインの人の動き、世の中の動きを逐一観察して、その一挙手一投足に合わせて、自分の行動や発言を考えていく必要があります。
『持っていない人』が、生きていくために。
世界は、決して公平じゃないから。理不尽だから。
一方、メインの人は、単独で成立し得る。
何かに影響されて、自分を変えていく、ということをする必要がない。
なぜなら、自分がメインだから。正しいから。
逆に言うと、メインの人は、何かに影響されて自分を変えちゃいけないんです。
そんなことをしてしまうとブレてしまう。カウンタータイプに成り下がってしまう。
せっかく『持っている』のに。
メインとしての役割を引き受けて、すべてを受け入れていく必要がある。
どんな誹謗中傷にも左右されてはならないのです。
だからメインで居続けることっていうのは、とても難しくて。
今では状況をうまく把握できない『天然』と呼ばれる人たちが、メインに位置することが多いような気がしています。
ただ、メインでいることの定義は『天然』じゃない。
メインの定義は『持っていること』だから。
しっかり状況を把握できる『持っている』人が、
『天然』でない『持っている』人が、
しっかりとメインとして役割をまっとうして欲しいと切に願います。
なぜかって、メインの価値が、カウンターの価値を決めると思うから。
パンチが強ければ強いほど、カウンターの威力も増すから。
『天然』に対してのカウンターなんて、そんなカッコ悪いことはしたくない。
カウンタータイプの人間としては僕は、そう思います。
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生きてたいから
工夫するけど
ほんとは知ってる
なにもない