重きを置かないという重きをおくれ〜個人的な悟りの話〜
何事にも重きを置かない生き方をしたいと考えることがあります。
何事にも重きを置かないなんて、そんなことはおそらくはできません。
「何事にも重きを置かない!」と意識している時点で、それはもうそこに重きを置いています。
カミュ『異邦人』の主人公ムルソーは、共に一夜を過ごした女性から「私のことを愛しているか」と聞かれて、「おそらく愛してはいないと思う」と答えます。
そして、その女性から「私と結婚したいか」と聞かれて、「どっちでもいいけど、あなたがそうしたいのなら結婚するよ」と答えます。
『自分がないこと』『個性がないこと』が批判される世の中です。
だけど、究極の無個性だったり、脱自分だったり、本当のゼロだったりは、最大の個性になりえます。
こんな風に書くとやっぱり個性的に見られたいのか、ということになりますが、そうでもないんですよね。
何事にも重きを置きたくない。そんな生き方に憧れる。でも完全に何かに重きをおいてしまっている自分がいる。
悟りの概念にもいろいろあるとは思いますが、何事にも重きを置かないようになれることが悟りとする人もいれば、悟れない自分をありのまま理解することを悟りとする人もいますし。
「これがこうだ!」と断言することはできそうにもないですが、昔の人もおんなじようなことを考えていたんだなあと思うと、なんだか親近感が湧くような気がして、少し嬉しくなったりもします。
昔の人もおんなじように、お釈迦様のことを思って少し嬉しくなったりしてたんじゃなかろうか。
現時点では、僕の中でこれを、この少し嬉しくなった気持ちを、悟りとしたいと思います。