わかった気になる

ぼくは、つけまつげお姉さんが怖いです。


一般的に『わからないもの』は、怖いです。
幽霊も、ギャルも、わからないから、怖いです。

恐ろしくて仕方がない『わからないもの』に対処する方法。
そのひとつに
「わかった気になる」
というものがあります。

 

「わかった気になる」ために、『わからないもの』を勝手にカテゴライズして決めつけます。

幽霊を「目の錯覚だ」とカテゴライズして決めつけ、わかった気になる。
そうすると、いつの間にか、幽霊が怖くなくなる。


ギャルを「頭の悪い下品な女」とカテゴライズして決めつけ、わかった気になる。
そうすると、いつの間にか、ギャルが怖くなくなる。

 

そんな経験を何度も繰り返すうちに、私たちは学習します。
『わからないもの』は、カテゴライズして決めつけて、わかった気になればいいんだ。

これは、『わからないもの』に対処する方法として、大変優れた方法です。


でも、ここで少し引っかかるのは、「わかった気になる」と「わかる」が、大きく異なるということです。
目の錯覚では説明できない現象は確かにありますし、頭の良い上品なギャルも、どこかにはいるはずです。

 

「わかった気になる」ことは、「わかる」ことの拒否です。知ろうとすることの拒否です。
その対象とのコミュニケーションの拒否です。

対象と深く関わってみないと、見えてこない部分はたくさんあります。
外側だけ見て、決めつけて、「わかった気になる」のは、自分を守るといった意味では優れていますが、関わり方としては貧しいと言えるでしょう。

 

たい焼きだって、食べてみないと、中を見てみないと、どんな味かはわかりません。
中身はあんこだとばかり思っていたたい焼きに、実際はバニラアイスクリームが入っているかもしれない。
あんこ入りたい焼きと、バニラアイスクリーム入りたい焼きとでは、適切な関わり方が異なります。
「これはあんこ入りたい焼きだ」と決めつけて、バニラアイスクリーム入りたい焼きを扱っていても、それは上手くいきません。
そんなことしてたら、バニラアイスクリームが溶けてしまいます。

 

「この『よくわからないもの』は、たい焼きである!」
「そしてこのたい焼きの中身はあんこだ!」
と、食べてもみないで決めつける人が、少しだけ苦手です。

 

でも、つけまつげお姉さんはやっぱり怖いです。
「ギャル」だと決めつけて「頭の悪い下品な女」だとして「わかった気に」なることにします。


あんこを演じて
バニラが溶けても
隠し通せば
それでいい。

 

おわり。