信じる者は救われる?
「信じる者は救われる」について思ったこと。
人は、神を信じ、「自分の行いを神は見てくれている」と信じることで、
率先して良い行いをするようになり、悪い行いを控えるようになります。
【ジェームス・ランゲ説】
アメリカの心理学者ジェームズ(W.James)とデンマークの心理学者ランゲ(C.Lange)とによって、1884~1885年の同じころ唱えられた情動の本質についての説。刺激→情動→身体変化ではなく、刺激→身体変化→情動という道筋を考えたもの。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という表現で象徴されている。
(デジタル大辞泉より)
行動や身体の変化が情動を生むとするなら、その動機がなんであれ、良い行いを繰り返すことで自己肯定感が高まり、精神的には健康になりそうです。
逆に、動機がなんであれ、悪い行いを繰り返せば自己否定が強くなり、不健康になりそうです。
そのように考えると、
「信じる者は救われる 」は、以下のようなシンプルなメカニズムで構成されているのでは、と思ったりします。
《「信じる者は救われる」のメカニズム》
・神を信じる
→「自分の行いを神は見てくれている」
→悪い行いを控え、良い行いをする
→精神的に健康になる
→救われる
ここで、少し疑問に思うことがあります。
「これは良い行い。これは悪い行い。」
と判断するのは誰か?ということです。
物事の良し悪しは神が判断するのか?
では神がそう判断する、と判断するのは?
そうなると結局、物事の良し悪しを判断するのは自分ということになります。
「神」という都合のいい存在を肯定しながら、
結局は自分で自分を評価する。
そしてその自分の自分への評価次第で健康にも不健康にもなる。
「神」とか
「信じる」とか
「誰かのため」とか言っておきながら、
『すべては自己完結』
ということになります。
おもしろい現象ですね。
きっと僕も、自分で自分を不健康にしているのだろうと思います。
僕の神は、評価が厳しいみたいです。
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神様、あなたを
信じてあげるわ。
だからあたしを
救いなさい。
おわり