『例』を選択するということ

仕事ができる人は、一生懸命仕事をします。

仕事ができる人は、もしかすると最初はそんなに仕事ができなかったかもしれません。

しかし、一生懸命仕事をした結果、仕事ができる人になったのです。

仕事ができる人は、時に「仕事ができると思われたい」と思ったこともあったかもしれません。
でも、仕事ができる人は、「仕事ができると思われたい」という願望よりも、「仕事ができるようになりたい」という願望の方が強かったのではないかと推測します。


「仕事ができると思われたい」と「仕事ができるようになりたい」は、似ているようで、全く違います。目指すところが違います。
仕事ができる人は、「仕事ができるようになりたい」ので、自分よりさらに仕事ができる人たちと付き合ったりします。
仕事ができない人たちと付き合って、「仕事ができてすごいねー」と言ってもらうよりも、自分よりもっと仕事ができる人たちと付き合って、その技術を自分のものにしたい、とか考えたりします。
逆に、仕事ができない人の方が、自分よりもっと仕事ができない人たちと付き合って、「仕事ができてすごいねー」と言ってもらいたいと思っていたりします。


もう一つ、同じような例を挙げてみます。


誰かの足の爪を舐める人は、時に「足の爪を舐めると思われたい」と思ったこともあったかもしれません。
ただ、足の爪を舐める人は、「足の爪を舐めると思われたい」という願望よりも、「足の爪を舐めたい」という願望の方が強かったのではないかと推測します。
「足の爪を舐めると思われたい」と「足の爪を舐めたい」は、似ているようで、全く違います。目指すところが違います。
足の爪を舐める人は、「足の爪を舐めたい」ので、自分よりさらに足の爪を舐める人たちと付き合ったりします。
足の爪を舐めない人たちと付き合って、「足の爪舐めてすごいねー」と言ってもらうよりも、自分よりもっと足を舐める人たちと付き合って、その技術を自分のものにしたい、とか考えたりします。
逆に、足の爪を舐めない人の方が、自分よりもっと足の爪を舐めない人たちと付き合って、「足の爪を舐めてすごいねー」と言ってもらいたいと思っていたりします。

————————

人は、世界のなかのいろいろな法則を見つけて、解明しようとします。
そして、いくつかのことは、法則を見つけて、解明できたと思いこんでいます。


でも結局は、世の中にある膨大な出来事の中から、その法則に当てはまる都合の良い『例』を探し出してきただけかもしれないと、細胞のことを思いながらぼんやりと考えました。

そして、別にそれでもいいやと思いました。