元気にするというシンプルな軸
元気がない人を、元気にすることがカウンセリングの目的であるという考え方。
自分が表現したことを、他者に認められることで、精神的エネルギーは充足する。
だから、カウンセリングでは、クライエントに表現をさせ、カウンセラーはそれを認める。
カウンセリングの目的を、精神的エネルギーの充足とするなら、
クライエントの精神的エネルギーをどれだけ満たせるかが、カウンセリングの優劣につながることになる。
過去のトラウマとか、問題解決とか、環境に適応できないとか、そんなことがメインの問題ではなくなる。
過去のトラウマとか、問題解決とか、環境への適応にについて話し合うことが、精神的エネルギーを満たすことにつながるようならそれでもいいけれど、もしそれがただ、精神的エネルギーをすり減らすだけの行為になるのであれば、そのことは一旦傍に置いておく。
カウンセリングでは、クライエントの精神的エネルギーを充足させることに全てをかける。
カウンセラーの言動の判断の基準を、クライエントの精神的エネルギーが満ちるかどうかというところに持っていく。
問題を一旦傍に置くことで生じるクライエントの不安や、それに伴って生じるカウンセラーの不安が、カウンセリング場面で立ち上がってくることはあるだろうけれど、それもお互いに共有しながら、今後の付き合い方を考えていく。
けれど、基本的には、カウンセラーは問題解決をする人ではないということは常に頭に置きながら、精神的エネルギーを充足させるための関わりを考えたい。
精神的エネルギーが充足した結果、クライエントはきっと何らかの行動を起こす。
行動を起こしたことで、また精神的エネルギーが減少してしまうかもしれない。
その時はまた、カウンセリングに来てもらいたい。
そうやって、チャレンジしてエネルギーをすり減らしては、他者から認めてもらうことで回復し、またチャレンジしにいく。
それは別に、カウンセリングに限ったことではなく、単なる人間の営みである。
その単なる人間の営みを、心理学を勉強した人間が、心理学的な観点で行うというだけ。
それでも、他者を認めることのトレーニングは、たくさんのお金と時間をかけて行なってきているから、単なる雑談好きのおっちゃんやキャバクラのお姉さんとは一味違うぞと、そう自負していたりもする。
雑談好きのおっちゃんでも、キャバクラのお姉さんでも、その他のいろんな要素が含まれていたりもするから、土俵が違うというのはあるかもしれないけれど。
まあ、いろんな精神的エネルギーの満たし方が世の中にあるということは、社会にとっては良いことかもしれないなあと思う。