おっぱいコンプレックス
ほとんどの女性は、自分のおっぱいにコンプレックスを持っているのだと、Tは言った。
「だから女性のおっぱいを褒めておきさえすればいいのだ」そうTは言った。
女性のおっぱいをたくさん褒めていたからかどうかはわからないが、Tは多くの女性とセックスをしていた。
「おっぱいをアピールポイントにしている女性が、巷には少なからずいるではないか」と、僕は反論した。Tがそれにまた反論する。「外に見える大きさでアピールしている女性も、形で悩んでいたり、乳首や乳輪の大きさや色で悩んでいたりするのだ。自分のおっぱいは完璧だと自認している女性はほとんどいないのだ」
……………。
乳児は母親のおっぱいによって育つ。
空腹という不快・恐怖の状態から、乳児はおっぱいによって救われる(おっぱいによって快の状態へと導かれる)。
ルールも枠組みも何もない、無秩序な混沌とした世界の中、「快」と「不快」という乳児にとって初めての基準が、おっぱいによってもたらされるのである。おっぱいこそが、おっぱいのみが、乳児にとっての快であり、快のすべて=おっぱいなのである。
とここまで考えて思ったこと。
そりゃあおっぱいのハードル高ぇぜ。快のすべてて。
なるほど、快のすべてであった母親のおっぱいの記憶が深層にある中で、女性は自分のおっぱいが完璧だとはそりゃあ思えないでしょうね。この世に「快のすべて」に勝るものなんてないんだから。そんな「快のすべて」なんかと比べられたら、自分のおっぱいがコンプレックスになるのも無理はないかなと思う。
(男性は、母親のおっぱいのイメージを別の女性に投影すればいいだけなので単純なんでしょうけどね。自分は母親のようなおっぱい『快のすべてであったおっぱい』は持ち合わせてないのだから。)
Tよ… おまえはなんてことを考えているのだ。
そんな女性たちのコンプレックスを広い心で受け止めながら、多くの女性とセックスをしているT。
僕にはそんなTが、どんな女性よりも完璧なおっぱいを持っているように見えた。