役に立たない「他との違い」

個性的になればなるほど、「社会」との距離は開いていく。

「他と違う」ということは、「希少性が高い」ということであるから、社会的な価値を高めるということが言われたりするけれど、それはその「他と違う」ことが、社会的に役に立つと判断された場合に限る。

社会的に役に立たない「他と違う」ことなんて山ほどある。
むしろ「他と違う」ことなんて役に立たないことの方が多い。

他の人は時間内に作業が終えられるのに、自分はどうしても時間内に作業を終えることができない。

人前に立つと緊張して言葉が出てこない。

電車やバスなどに乗ると、動悸がして脂汗が出てくるから、それらの乗り物に乗れない。

家を出るまでにやらなければならないマイルールがあって、それに5時間はかかる。

そんな、「他と違う」ストーリーが、カウンセリングの中では語られる。

それは、社会的には役に立たない「他と違う」ことである。

そんな社会的には役に立たない「他と違う」ストーリーにこそ耳を傾け、「他と違う」その人という人間を感じる。

誰にも「役に立つ」とされないものを取り上げる。

社会的には「役に立つ」とされなくても、精神科領域では「役に立つ」とされる情報もある。

たとえばそれは、診断や薬の処方のために「役に立つ」情報。

しかし、カウンセリングにおいては、そこからもフリーになりたい。

何かのために「話を聞く」のではなく、ただ、その人を理解するために話を聞く。

その人の「他と違う」ところをただ聞き取っていく。

突き詰めていけば、どんな人も「他と違う」人間である。

社会と隔絶されたカウンセリングルームという場所で、「他と違う」人間が確かにそこに立ち現れるように。

それはその人が個性的になるためのかかわりであるから、社会的に規定された症状が改善するとか、社会的な適応がどうなるであるとか、そんなこととは本来関係のない営みである。

むしろ、個性的になればなるほど、「社会」との距離は開いていく。

「社会」との距離は開くのだけれど、社会との距離感を保ちながら、社会へ参加するという方法もあるにはあるような気もする。

「社会」とのつながりのことは常に問われることでもあるから、どんな風に説明するかということは、考えておきたい。

あくまで、「社会」との距離感は保ちながら。