(ゆとり世代が思う)ゆとりについて
ゆとりについて考えることがあります。
関連して、最近の「こだわり」ブームについても考えることがあります。
「これじゃないとダメ」とか、「こんなこだわりが」とかって、なんかカッコ悪いし、もっと柔軟に考えてもいいのにって思います。
いつから「絶対にこうじゃないと」とか、「俺のこだわり」とかが良きことみたいになったのかなーと疑問に思うことがあって。
仏教って、悟りとか無我って、たぶんそんなんじゃないですよね。
上の世代の人たちからは怒られるかもしれないけど、
いろんなことにゆとりを持って考えられるようになりたいです。
それがゆとり世代なんだと、誇りを持って生きたいです。
ゆとり世代の共通点として、「俺は(私は)、まわりとは違う。ゆとりの世代とは違う」
と考えている人が多いような気がしています。
同世代のまわりの人たちを見ていて、そう思うことがあります。
実際、ぼく自身も、そんな風に思ってしまうことがあります。
ゆとり世代って、ゆとり世代の人にとってバーチャルなものでしかなくて。
実際に自分がそこに属しているって意識が少ないような気がします。
ゆとり世代っていうくくり自体のマイナスイメージが大きすぎるから、仕方ないとも思いますけど。
ただでさえ人口が少ない世代なのに、そんなバラバラになってちゃ、おじいちゃん世代には勝てないよなーと、ふとした時に思うことがあります。
若い世代に支持される代表が現れないのも、そんなことが原因なのではないかと。
もし、おじいちゃん世代が、自分たちの意見が通りやすくなるように、そこまで見越して政策を打ち出してたんだとしたら、感服せざるを得ないですけど。それは考えすぎですね。
でも、やっぱり、結局、「どっちでもいい」んです。
まわりが「自分は違う」と思ってようが、「こだわり」が良きことになっていようが、
「どっちでもいい」。
おじいちゃんたちに「こだわらないとダメだ」と叱られるんであれば、
ぼくは、
「こだわらない」という「こだわり」を
貫き通せたらいいなーと思います。
そして、別に、貫き通せなくてもいいなーと思います。